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自由気ままな旅に出ています


by pepo629
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生死に接する機会薄く


Todays Topic

県教委が24日に発表した県内小中学生の「生と死」のイメージに関するアンケート結果では、子どもたちが死を身近な問題として認識できていない現状が明らかになった。03年7月に長崎市で園児誘拐殺害事件が起きてから、県教委は「生と命の大切さ」の教育に力を入れてきた。「死」を子どもたちにどう伝えていくかが、今後の課題になりそうだ。

  アンケートでは家族や親類など、身近で人の生死に接し、喜びや悲しみを感じたことがあるかについて聞いた。出生は27%、死亡は19%が「ない」と答えた。学校教育課は「最近は病院で人が生まれて、死ぬ時代。社会環境の変化で、家庭など身近な場所で生死に接する機会がなくなっている」と分析する。

  人間以外の生死についても「死んだ動物が生き返る」と13%が答えた。「動物は生き返りそうな力を持っている」など、小学生を中心に身近な生き物の死を現実的な問題として受け入れられない傾向がうかがえる。

  罪を犯すとどうなるのかについても、子どもたちの知識は乏しかった。中2の生徒に「殺人や傷害での罰や法律制度を知っているか」と聞いたところ、47%が「知らない」と答えた。社会科の授業で裁判制度を教えるが、刑罰や社会的責任について教える機会はないという。


夕刊を開いて小さな記事を拾ってみました。
悲しいことですよね。生き返るって言う気持ちがあることは嬉しいことですけど、生き返ると本当に思っているから傷つけることへの罪悪感が薄れているんですねぇ。まさに私が卒論の題にもした「神戸のサカキバラ事件」がそのままつながっているんですね。

日本には仏教の影響により、「お盆」という習慣がありますし、祖先が戻って来るという気持ちを大事にするために墓参りに行きますが、本来の意味を(宗教的な意味)離れて、現実的に戻ってくると思いこんでしまうことになっているのでしょうか。

難しいけど、これから子どもたちにいろいろな意味でしっかり教えていかねばなりませんね。







97年5月24日に起きた神戸での神戸少年殺傷事件。
その被害者となった家族にスポットを当てて実の兄、土師巧(さとし)さんが重い過去を語ってくれたのを取材したドキュメンタリー番組が去年のFNSドキュメンタリー大賞を受賞。
下記がそのディレクターの取材です。
「罪の意味ー少年A仮退院と被害者家族」犯罪被害者苦悩の歳月

受賞後、巧さんをはじめとした土師家の取材を通して一番感じたことは何ですか?というこの質問に彼女はこう答えています。
 「加害者と同じ中学校に通う淳君のお兄さんが、学校に行けなくなるという深刻な状況を私は知らなかったし、記者としてその点も突き詰めていくべきじゃないかと思ったんです。」 

そしてこの番組の中、兄の言葉に私は衝撃を受けました。当時彼は13歳。14歳だった犯人とは同じ中学の上級生。しかも毎日同じ部屋で生活していた弟をいきなり失い、翌日早朝に彼が通う中学校の正門に切断した首を置かれていることを耳にするのです・・・・・・。

その後彼は精神科の先生と会い、カウンセリングを受けるようになるのですが、事件後彼は学校に行くことが出来なくなります。当然ですよね。事件の現場である場所で勉強など出来るはずがないのですから。

2週間後でしょうか。犯人が逮捕、しかし14歳という年齢により当時の少年法に守られ、犯人は少年院に行ったものの、その中でカウンセリング、社会への復帰を目指す特別なプログラムの中で過ごすことになります。被害者であるはずの巧さんの苦悩は弟が最後に家を出たあのときから始まっているというのに・・・。
あの日、玄関で淳君が出ようとするとき、両親との話を遮って彼は一瞬考えるのです。「僕も一緒に行くよ」しかし来週ある中間テストが彼を阻みます。かれは行かないと言う決断をだすわけですが、彼の苦悩、そして彼が思い詰めるのはいつもその瞬間だそうです。
「あのときに一緒に行けば良かったんだと自分を責めてしまうのです。自分への罪ですね。」

失われた家族の命。ショックから立ち直る間もなくマスコミに囲まれる生活。
閉じこもり、喪失感・・・。

中学校へ行けなくなってしまった彼。近くの公立高校への受験は出席日数の足りないことで不可能に。遠い私立の高校への進学。勉強する意味って何だ?生きてるって何だ?彼の思いは疑問詞だったと言います。20になり、大学進学を決めた2005年、ようやく一段階したと言う気持ちから彼は7年間の思いをこの番組のディレクターへぶつけます。

被害者と加害者は紙一重。と言いますが、命を奪われた被害者を守る法律や心のサポート体制はこの日本にはほとんど皆無です。この事件をきっかけに少年法の施行年齢が14歳まで引き下げられましたが、犯罪に年齢は関係ないのかもしれません。

「さぁ、ゲームの始まりです・・・」この出だしから世間に挑戦状をだした当時14歳の少年。
彼は私がカナダから帰国した日、2005年の正月に世間に復帰しました。
しかし、もちろんまだこの事件が解決したわけではありません。

 ゲームのように人を殺して、ゲームのように人が生き返る。
そんな現実はこの世にはないのです。
失われた命は一生戻ってこないし、人を傷つけることはゲームではないのです。
「生」の重要性をもう一度考え直す必要が私たちにはあるのです。生きる事への希望は「死」の意味を理解するのにもっとも重大な事なのですから。
 
by pepo629 | 2005-01-27 22:48 | News