ヒデ、ピッチでの監督に就任?!
2006年 06月 14日
最後まであきらめないで
悔いのない試合をしてください。
ヒデ様。
チームを鼓舞するように最後まで戦う姿勢を前面に押し出した中田英寿。豪州戦の屈辱的な逆転負けにもただ1人、前を向いていた。
「(30日の)ドイツ戦と全く同じミスをしてしまった」と試合を振り返りながら、「それ以前に、2、3点取って試合を閉じることができたゲーム」と悔しがった。
そのうえで、「手応えどうこうよりも結果がすべて。あとは勝つ以外にこのグループを突破することはできないんですから」と強気の姿勢を崩さなかった。
このW杯は、自ら退路を断って臨んでいる。所属先の英プレミアリーグのボルトンとは「契約更新」の流れになっていたが、W杯開幕前に英ロンドンの所属事務所を閉鎖した。中田がボルトンを去るという情報を聞いたアラーダイス監督が慌ててこの試合を観戦にきたのもそのためだった。
一方、中田の移籍権利はイタリアのフィオレンティーナが持っているが、中田は、八百長疑惑で揺れるイタリアリーグに戻る気はないとされる。
すべてをリセットしてスタートしたW杯。「あのピッチだったら、遠くからシュートを打つ方法がいい」と試合が近づくにつれて自ら居残り練習を課した。それもすべてシュート練習だった。
ボンの合宿では、WBCのイチローになるために「仲良し集団」の中に入ることも考えた。しかし、今は一切ない。
ジーコジャパンのW杯が残り2試合となれば、中田にとっては最後のW杯に向けたカウントダウンが始まるということ。 29歳で3度目となるこのW杯がおそらく最後。これまで出場したW杯でも特に初出場となった98年フランスW杯は「ヒデがほとんどの戦術を決めていた。こうやろうと彼が言ったら、よし。それで行こうと。…一事が万事そうだった」と当時の代表選手は打ち明ける。
再び、ピッチ上の「監督」になりきることがジーコジャパンを救う道でもある。
by pepo629
| 2006-06-14 09:45
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