自由気ままな旅に出ています


by pepo629
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中田の自伝を書いた筆者からヒデへ。


 中田英寿が現役からの引退を考えている――。
 そのことを聞かされたのは今年3月初めのことだった。
「ドイツでのワールドカップを最後にプロの世界から離れようと思う」
 彼はその3か月も前から意を決し、昨年の12月末には最も信頼するマネージメント・スタッフにもそう告げていた。
 決意が翻ることはないのか。ゲームを戦うマグマのような熱をはらむ闘志が、本当に途絶えてしまうのか。私は何度も問いかけずにはいられなかった。
 しかし、彼はその度に澄んだ目をしてこう言うだけだ。
「自分で決めたことだから……。これまでも全ての決断は自分で下してきた。今までも、これからも後悔はしないよ」





■この10年

 私はこれまでに中田英寿の本を3冊出版した。フランスワールドカップへの出場を決めた直後に書いた「中田語録」(文春文庫)、ワールドカップ予選からイタリア・ACペルージャへの移籍までを描いたノンフィクション「中田英寿 鼓動」(幻冬舎文庫)、19歳で行った初めてのインタビューから2000年にASローマへの移籍を遂げるまでを綴った「ジョカトーレ」(文春文庫)である。
 スポーツノンフィクションを書き下ろす上で、10年もの間、一人の選手を追い続け書き続けることなど、実は奇蹟に等しいことだ。
 1996年の6月、雑誌の取材で19歳の彼に出会っていなければ、月に何度かスタンドへ足を運び、衛星中継で欧州リーグのゲームを観戦し、3回連続でワールドカップの取材をする私など、存在していなかっただろう。
 日本についに登場した稀代のゲームメーカー。サイドチェンジの鮮やかなパスと、走りこむフォワードの背後から刺さるような速さで蹴り込まれるキラーパス。
 この国にサッカーのダイナミズムをもたらした中田を取材し、その姿を活字に残したい。私がスポーツを大きな主題とし続けた理由は、やはり「中田」だった。
 中田が笑いながら言ったことがある。
「俺がいなければ、こんなに長くサッカーの取材をすることもなかったのにね」
 本当にそうだった。
 彼の最後の戦いと引退の真相を記すため、「鼓動」の続編を執筆している私は今、その事実を噛み締めている。
 
 何度となく長いインタビューを続けるうち、私には分かっていた。
 近い将来、彼がピッチから去るであろうことを――。
 
 中田は、サッカーを心から愛している。広大なフィールドで縦横無尽にパスをつなぎ、ゴールを狙い続けるタフで緻密(ちみつ)なスポーツに、真に魅せられていた。
「俺が一番うれしいのは、自分が出したパスからゴールが生まれた瞬間だね。自分でゴールを決めるより、ゴールを演出するパスを放つことのとりこになっている」
 個人を重んじ、孤高を求めた彼が、チームメイトとパスを繋ぐことに魅了され、サッカーから離れられなくなったのだ。
「確かにね、ときどき『どうして個人競技じゃなく、団体スポーツをやっているんだろう』と、考えることはあったよ。でも、あの広いピッチでたった一つのボールを巡り、叫び、蹴って、唯一無二のプレイを作り上げていく醍醐味(だいごみ)、楽しさは、サッカー以外では経験できないんだよ」
 そう語る中田の至福の表情を、私は忘れない。

 しかし中田は、サッカーを愛すると同じほど強いエネルギーで、自分の人生についても考えていた。
 10代の頃からインタビューの度にこう聞かされた。「サッカーしか知らない人間になりたくない」と。
「誰でもいつかは引退する。その時に『一生懸命サッカーをやってきたから、他のことはできません』なんて、絶対に言いたくないんです。きちんと食べていけるだけの糧を得る。そのために手に職をつけるか、資格を取りたい。税理士になれたら仕事に困らないんじゃないかと思って、今、簿記の勉強を始めようと思っているんですよ」
 若さとは不釣合いなほど生きることに真剣な彼だからこそ、自己の未来を注視していた。深い思考を何年にも渡って繰り返していた。
「ゲームに臨めば、その一瞬一瞬に全身全霊を傾ける。でも、それは仕事でも同じでしょう。もしサッカーを辞めて新しい道を歩み出したとしたら、同じだけのエネルギーをそこに投じることができる。それって、みんなだって同じでしょう」
 才能のある彼が、次なる舞台に向け階段を上り始めることは当然のことだった。それがやがて「引退」に繋がることも、彼の中では自然なことだった。

 他人が「天才」と呼ぶことには心を閉ざしていたかもしれない。中田はどんな状況にあっても目に前にそびえる山を見上げ、頂上を目指して全力を尽くした。何より努力の人だった。
 ブラジル戦に敗れ予選敗退が決まった翌日、中田はラストマッチをこう振り返っていた。
「もちろん、この結果には満足はしていないよ。でも『戦ったんだ』という充実した気分はある」
 中田は「29歳の若さ」で引退を決めたのではない。29年という月日を重ねたからこそ、リ・スタートを切るべくまだ見ぬ世界へと飛翔したのだ。

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■東欧の青い空に





 中田のラストメールのなかで胸が詰まる一文があった。
「プロになって以来、サッカー、好きですか?」と問われても「好きだよ」とは素直に言えない自分がいた」
 イタリア・セリエAで過ごした7年、プレミアリーグで過ごした最後の1シーズン、U-15から過ごした各代表での幾多のゲーム。そこで与えられた興奮や歓喜と引き換えに、彼は想像を絶する重圧を引き受けることになった。
 名声を授けられ、それとは裏腹な非難も浴び、ピッチでは常に観衆の期待に応えようとした中田。彼がプロサッカー選手として戦った11年は、常人の歳月の何倍でもあるのかもしれない。
 あんなに愛したサッカーを「好きだ」と言えない辛さから開放された今なら、彼を一流のプレイヤーだったと知らない子供や青年たちと、笑顔を浮かべながらボールを蹴ることができる。

 中田のいない寂しさは、日一日と深くなっていく。
 しかし、新たな旅を始める彼には笑顔だけを手向けたい。

 東欧のある街で最後のインタビューを終え、私は別れを告げた。彼は白いシャツの袖に通した右腕を空に伸ばし、こう言った。
「じゃあまた、どこかの街で」


以上
小松成美さんの文章でした。
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by pepo629 | 2006-07-07 14:28 | Side by HIDE