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自由気ままな旅に出ています


by pepo629
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“出逢いを通じてカナダで得たもの”


 偶然から始まったカナダ生活がもう2年経とうとしている。この国は私を大きく変えた。人との出逢いは大きな支えになっている。日本では「変わってる」私がカナダでは「自分らしく」生きている。
 「You must be happy and healthy.」こころの傷が再度開いて、どうしようもなくなった私を励ますために大好きな友人が出張先からメールをくれた。
この言葉はこのカナダで一番私に喜びを与え、常に頭に真っ先に浮かぶ。

 忘れもしないカナダの出発前の7日前。何をするにも両親の元でのほほぉ~んと生きてきた私の人生再スタート。ベットに入っても緊張して全然眠ることが出来なかった。 起きてもないことを仮定しては頭の中で考えるだけで眠ることが出来ない。 飛行機に1人で乗ることも初めてだった。関西空港に迎えに来てくれた大親友が涙を流している。私は気丈に振る舞った。泣いても笑っても旅は既に始まっている。笑って「行ってきます」と言った。
 生活に何の刺激がなかった2002年夏。名古屋で働いていた父と一緒に将来を考えていた。就職するには何か自信を付けなくちゃな。その言葉から英語を勉強してみたら?と行き着いた。名古屋には留学に関する色々な業者が集まっていたし、情報収集には最適だった。たまたま名古屋に来る前にアルバイト先で出会った友達がUBCに留学経験者で「バンクーバは良いよ」と言った。その言葉は今の私である。決定的瞬間と言うべきか。到着したバンクーバで韓国人の友人を通じて美和さんに逢った。今はアボッツフォードで大学のESLに通っている。




 2002年12月7日。クリスマス前にカナダに行った方がホストファミリーと交流出来ると思い、その時期に決めた。子供が二人。可愛い先生だった。
何も分からない私に色々な言葉を投げかけてくる。折り紙を折ってあげたり、一緒にゲームをしたり、ビデオを見たりして英語に慣れていった。
 海外で勉強することを決めることは本当に中途半端な気持ちでは精神的にも体力的にも無理だと思う。目的を持って自分はここまでになりたいんだ、と言う気持ちが海外で生活する上での羅針盤となるからだ。語学を修得するのははっきり言って簡単ではない。勉強だけをすれば語学が修得できるわけではなく、友人、生活を通して、楽しんでいかなければ頭に入っていかないからだ。机の上で言葉を覚えたり、参考書の付属に付いてるCDを聞き流したりしても、会話はやっぱり人間と人間とのコミュニケーションを通して以外身に付かないからだ。言葉の壁に幾度も泣いたけれど、(自分の言いたいことが言えないイライラが溜まるなんて日本ではあり得ない。)言葉が分からなくともこころ同士の会話は国が違おうと第一言語がどんな言葉であろうと英語というツールでお互いを理解できることが分かった。
 本当に色々な国の人に会えた。こっちであった同じ国の人も私と似た目的を持って生きているので関係も自然と親密となった。国の名前を挙げるだけでもフランス、イタリア、ルーマニアスイスペルーブラジルアルゼンチンメキシコインドサウジアラビアロシアベトナム韓国中国人台湾人,日本人,そしてカナダ人。それぞれの国の人と世界観の違いを共有できた。日本は世界の一つの国だけど、そこだけが世界ではないことも身に染みた。一つの戦争に対する考えも国が違えば全く違う教育を受け、全く違う経済状態の中で生活し、考え方も全く異なる。韓国の友達に会ったときに言われた言葉は感動した。「ほとんどの人が知らない私たち側の歴史を貴女は知っているから嬉しい。」
知識では分かっていたつもりでも本当の理解はこうやって人に会うことによってようやく自分のものになっていくんだと思う。自分の国のことくらい説明できるようにならなくちゃね、と辞書を片手に何らかの努力をしてきた気がする。
特に、京都の出身の私にとっては歴史や文化がいかに大事か体感した。当たり前にあった寺や神社の仏閣がカナダにはなく、その代わりに教会の十字架が目に入る。日本を離れて以来何度も恋しく思った。
 英語だけではなく、言語を勉強するには身体も心も全ての機能を使わなければならない。感じるのだ。考えるのだ。生活を楽しむ。会話はリラックスしていないと出来ない。嫌いな相手の前で言葉が出ないと同じで、どうしても学校に通っているだけでは会話の力は伸びない。残念ながら。そこであった友人や先生、自分の住んでる家の周囲の人々、そして自分の趣味を通じて出会うという手がある。とにかく言語って人間と人間との伝達の手段なのだ。自分の好きなことなら頭にはいるだろう、幾ら難しい単語であろうと。私にとっては映画であり、音楽であり、そして友人のおかげだ。人はどんなに言葉が出来なくとも理解してあげようと言う気持ちがあれば理解できるし、話そうと思えば単語が分からなくとも、伝えることが出来る。「失敗することを恐れるな。」当たり前だ。私たちの第一言語は日本語(注 日本語は世界で3番目に習得するのに難しい言語らしい)をつかっている。日本で英語を使う機会がないのに英語圏でいきなり英語が話せるようになるなんてそれはおかしいのだ。間違いを何度も繰り返し、人に指摘されて、こうやって言うんだよと新しい語彙を教えてもらいながらことばって言うのは上達する。
 私自身の小学校時代、中学校時代は嫌がらせの毎日で、学校なんか大嫌いだった。日本の教育システムが私には合わなかった。出る杭は打たれる。出したくても出せない自分のパーソナリティが失われていくかと思った。なんとか努力をして大学の卒業資格までたどり着いた。大学時代は“生涯教育”を専攻した。学生時代は全く理解できなかったこの“生涯教育”の理念。カナダで感じることが出来る。教育は学校に行く時期だけに行われるのではない、家の中、社会、そして人を通じて年齢関係なく成長するのだ。
 ボランティアをいくつか経験したが、小学生の子ものおばあちゃんくらいの人も足が悪い人でも自分の出来る範囲で社会に経験しているのを目の当たりにした。素敵なことが周りにあると自分まで輝いていくのを感じる。
「役立たず」だと思いこんでいた自信もない痩せっぽちの私が自転車に乗ることや歩くことで筋肉質の身体になり、毎日重たい教科書を背中に背負って学校に通っている。学校が終われば宿題をし、英語を理解することに神経を使っている。週末になればボランティアに出かけ、子供たちと交流をして、仕事を手伝うことで英語を使うという日課を過ごしている。
人はこころがある。こころは人によって支えられ、傷が付いたとしても再生することが出来るようになっている。私自身こころに大きな傷を負った。「過去」が過去だと思えず、かなり辛いこともあった。それでもわたしは美和さんに逢い、掛け替えのない友人を得て、カナダという国で再出発をする事が出来た。人生ってどう転ぶか分からない。人生は楽しく過ごさなければ損だ。「苦しみ」は辛いけど、苦しみだけが人生じゃない。「素敵なこと」も転がっている。帰国するとき、自分が今までカナダで学んできたことを胸張って説明できるように楽しもうとする前向きな気持ちを忘れないこと。これを目標に今は勉強中。

冒頭のメールを受け取った1週間後、友人と再会しました。これ以上勉強が続けられないと思い悩んでいた私の気持ちは和らぎ、もう少しだけ頑張ってみようと言う気持ちになりました。その彼の誕生日がもうすぐです。ことばにならない気持ちを伝えるつもりです。 

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by pepo629 | 2004-08-13 14:35 | Canada Report